滋賀県米原市 おうみ三奴振り
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公家奴振り 福田寺 米原市長沢
由来

 江戸の末期、嘉永3年(1850年)から160年程前に長澤御坊福田寺の次期住職となる『息長本覚摂専』の妻に京の都の公卿摂政関白 二条斉敬公の妹『かね子』姫(明治皇后の従姉妹にあたる)との縁談の仲立ちを、彦根藩主 井伊直弼公に、従兄弟にあたる時の住職がお願いされ(直弼公当時36歳、大老職につく6年くらい前)縁談がまとまり、直弼公の仲人で福田寺へ嫁いでこられました。
こうしたご縁で京の都から江北は坂田の郡、長澤村までの長い道中をお公卿さんの嫁入り行列が続きました。
 村の衆一行が彦根は佐和山まで出迎え、一緒に行列に加わり、その中でもひときわ目をひいたのがお公卿さんの奴振りで、身振り手振りの手真似で覚えながら長澤村福田寺に着きました。
 そこで「ヨーイヤセ アレワイサーノサ」の掛け声とともに、足裏を見せずに優雅に練り歩く「公家奴振り」を覚えて、福田寺の法要行事などで披露、奉納し後世に伝えられてきました。
 奴は、先導の露払いに続き、挟み箱、台傘、立て傘、毛槍に長刀、公家と雅楽が続く行列となっています。

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