滋賀県米原市 おうみ三奴振り
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武家奴振り 山津照神社(米原市能登瀬)
由来

 式内山津照神社は、古代豪族「息長氏」とかかわりの深い古社で、創建は奈良時代とされますが、その始まりは古墳時代にさかのぼると考えられます。
 息長氏は、神功皇后(応神天皇の母)の出生氏族で多くの皇后・妃を輩出し大和朝廷に深くかかわった氏族として知られています。
 古事記・日本書紀によると継体天皇も息長氏に出自を持ち、天智・天武天皇は息長足日日額の子どもとされていますが、神社境内の前方後円墳をはじめ地域一帯に展開する古墳は、そのよすがとなるでしょう。
 神社で毎年春の祭礼に繰り広げられる「武家奴」の由来は、神社境内に別祀される霊験あらたかな青木神社の祈祷札を宮中に奉納する際の道中行列の奴振りに端緒をたどることができます。
 その後、大正3年に山津照神社の末社が醒ヶ井の松尾寺から帰るときに途絶えていた「武家奴振り」を当時の能登瀬若衆8人が指導を受け復活され、昭和26年に故あって長浜市小堀町に安置されていた青木大梵天王のご神体をお迎えに上がるときも喜び勇んだ村人たちは「武家奴振り」の供ぞろえで露払いを勤められ、山津照神社の祭礼の一端を担っていました。
 しかし、ときの流れで再び奴振りが途絶えましたが、昭和48年2月に旧近江町30周年の「草の根文化活動」が推進され、有志による募金活動等の努力もあり「能登瀬奴保存会」が結成され、現在は会員70名余りで、毎年、山津照神社の春の祭礼に「武家奴振り」が奉納されています。
●指揮者を先頭に
 伊達箱 立傘 台傘 大鳥毛 神官以下の行列
●かけ声
 指揮者「エエー よ〜んやせぇ〜エ」 伊達箱「あれわいサア〜のサア〜」
 その他「これわいサアーのサア」に始まり「いい天気やナア〜ア」「ア、一杯ほしいナア〜ア」「あア〜ベッピンさんやナア〜」などの面白いおかしい即興のかけ声により、祭礼を祝い先導を勧めます。

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